検索結果一覧

データベース 写真資料
フリーワード
 
  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 竹製横筌 不明 ・横書番号はアルバムNo,89・90の収蔵番号と関連するものヵ   不明 写真資料 日本常民文化研究所
2 上伊那川島村の屋根板剥ぎ 竹内利美 ・川島村の屋根板剥ぎについては引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p1-19に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
3 上伊那川島村木曽澤の辻の供養塔 竹内利美 ・川島村の庚申塔を含む川島村の石塔については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p90-98に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。・ガラス板のうち、被写体の山の稜線から上の空の部分が赤く着色されている。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
4 上伊那川島村の庭先のほんだりさま 竹内利美 ・川島村のほんだりさまについては引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p171,179,180,18
3,186に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。
昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
5 上伊那川島村の共同風呂 竹内利美 ・川島村の共同風呂については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p24-27に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
6 上伊那川島村の屋根葺き 竹内利美 ・川島村の屋根葺については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p1-19に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
7 上伊那川島村の龍吐水 竹内利美 ・川島村の龍吐水については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p37に、火事・消防については、p28-42に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
8 上伊那川島村飯沼澤の郷蔵 竹内利美 ・川島村の郷蔵については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p57,59,70,219に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
9 上伊那川島村の一ノ瀬堂前正徳六年建立の庚申塔 竹内利美 ・川島村の庚申塔を含む川島村の石塔については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p90-98に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。・ガラス板のうち、正面右側にガラスのひび割れがある。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
10 上伊那川島村の橋綱 竹内利美 ・川島村の橋綱については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p56,57に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
11 上伊那川島村の十二ほんだり様とけえかき棒 竹内利美 ・十二ほんだり様とけえかき棒については引用使用媒体であるアチック・ミューゼアム彙報第7『上伊那川島村郷土誌続編』p177-178に関連の記述がある。・撮影者、撮影地域は引用・使用媒体の図版目次による。撮影年月日は引用・使用媒体の内容である児童による調査が開始された昭和9年4月より、同書が刊行された昭和11年8月の間を最大として推定した。 昭和9(1934) 長野県上伊那郡川島村 写真資料 日本常民文化研究所
12 下伊那郡神原村本山にて越前出身の炭焼きの男性達 高橋文太郎 ・本資料は高橋文太郎『山と民俗』p.136に関連の記述が見られる、また、犬歩当棒録「旅譜」、高橋文太郎『山と民俗』p.136,147,『本山雑記』p.151によると、昭和8年1月4日に撮影されたものと推定される 昭和8(1933) 長野県下伊那郡神原村本山 写真資料 日本常民文化研究所
13 清水屋の土間からあがる上條嘉門治 渋沢敬三、菊池雙二郎氏 ・【封筒1】河1-33-3の封筒に入っていた・高橋文太郎『山の人達』挿絵一の説明によると「明治四十五年夏、上高地清水屋にて、渋沢敬三子爵と同行の友人が撮影されたもの」とあり・『犬歩当棒録』p.353「清水屋に立ち寄りし嘉門爺(明治45年7月、菊池雙二郎氏作?)」とあり 明治45(1912) 上高地清水屋 写真資料 日本常民文化研究所
14 下伊那郡神原村本山の家並み 高橋文太郎 ・本資料は犬歩当棒録「旅譜」、高橋文太郎『山と民俗』p147、『本山雑記』p151によると、昭和8年1月4日朝に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 長野県下伊那神原村本山 写真資料 日本常民文化研究所
15 下伊那郡神原村本山の家並み 高橋文太郎 ・本資料は犬歩当棒録「旅譜」、高橋文太郎『山と民俗』p147、『本山雑記』p151によると、昭和8年1月4日朝に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 長野県下伊那神原村本山 写真資料 日本常民文化研究所
16 三信国境線(新野峠)より山々を望む 高橋文太郎 ・本資料は高橋文太郎『山と民俗』p147の行程によると、昭和8年1月3日に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 新野峠 写真資料 日本常民文化研究所
17 新野峠より南アルプスを望む 高橋文太郎 ・本資料は高橋文太郎『山と民俗』p147の行程によると、昭和8年1月3日に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 新野峠 写真資料 日本常民文化研究所
18 下伊那郡神原村伊藤家での記念写真 高橋文太郎 本資料は犬歩当棒録「旅譜」、高橋文太郎『山と民俗』p127、147、『本山雑記』p149によると、1月3日の昼食を取った神原村大河内の道上(屋号)伊藤家での記念写真と見られる。 昭和8(1933) 長野県下伊那神原村大河内 写真資料 日本常民文化研究所
19 下伊那郡神原村坂部の地蔵峠を望む 高橋文太郎 ・本資料は高橋文太郎『山と民俗』p138によると、昭和8年1月4日に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 長野県下伊那神原村坂部地蔵峠 写真資料 日本常民文化研究所
20 下伊那郡神原村坂部の諏訪神社と天竜川 高橋文太郎 ・本資料は高橋文太郎『山と民俗』p138によると、下伊那郡神原村坂部の諏訪神社で昭和8年1月4日に撮影されたものと推定される。 昭和8(1933) 長野県下伊那神原村坂部 写真資料 日本常民文化研究所

戻る