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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 越後赤谷村瀧谷国有林内にて、千匹万匹の祭(熊の毛皮を剥いだところ) 高橋文太郎 ・台紙記載のうち「狩猟」、「?」、「イ」の記載はそれぞれ○で囲まれている・台紙記載に「朝日嶽?」となっていること、昭和12年4月13日の新潟県北蒲原郡赤谷村での熊狩の様子が書かれた高橋文太郎「山と人の生活」p29には本資料の前の場面の写真が掲載されていること、同書p24-25に「千匹万匹」の記述があること、などから引用・使用媒体にある「毛祭(山形県朝日岳山麓」は誤りで撮影地は新潟県北蒲原郡赤谷村、撮影年月日は昭和12年4月13日、撮影者は外装記載なども考慮し高橋文太郎とした。 昭和12(1937) 新潟県北蒲原郡赤谷村瀧谷 写真資料 日本常民文化研究所
2 越後赤谷村瀧谷の熊の皮張 高橋文太郎 ・昭和12年4月13日の新潟県北蒲原郡赤谷村での熊狩の様子が書かれた高橋文太郎「山と人の生活」p9-63から、撮影地は新潟県北蒲原郡赤谷村、撮影年月日は昭和12年4月13日前後、撮影者は外装記載なども考慮し高橋文太郎とした。 昭和12(1937) 新潟県北蒲原郡赤谷村瀧谷 写真資料 日本常民文化研究所
3 越後赤谷村瀧谷にて剥いだ熊の皮を張り伸ばしているところ(写真は皮の表側) 高橋文太郎 ・昭和12年4月13日の新潟県北蒲原郡赤谷村での熊狩の様子が書かれた高橋文太郎「山と人の生活」p9-63から、撮影地は新潟県北蒲原郡赤谷村、撮影年月日は昭和12年4月13日前後、撮影者は外装記載なども考慮し高橋文太郎とした。 昭和12(1937) 新潟県北蒲原郡赤谷村瀧谷 写真資料 日本常民文化研究所
4 越後赤谷村上赤谷の井上村長宅囲炉裏端に座る女性と子ども 高橋文太郎 ・台紙記載には「新潟県岩船町三面村三面」とあるが、写真記載に「赤谷村上赤谷井上村長宅」とあること、昭和12年4月13日の新潟県北蒲原郡赤谷村での熊狩の様子が書かれた高橋文太郎「山と人の生活」p9-63から、台紙記載は誤りで、撮影地は新潟県北蒲原郡赤谷村と見られる。同書より撮影年月日は昭和12年4月13日前後、撮影者は引用・使用媒体、外装記載なども考慮し高橋文太郎とした。・アルバム18-30とほぼ同一の写真(被写体として老女の隣に女の子がいない) 昭和12(1937) 新潟県北蒲原郡赤谷村上赤谷 写真資料 日本常民文化研究所
5 高橋源蔵氏宅の囲炉裏 高橋文太郎 ・「高橋源蔵氏方 イロリ」の記載は写真の下に隠れていて捲ると見える・写真上方に何か紙のようなものが貼られていた跡がある・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
6 肥ビシャク 高橋文太郎 ・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる・撮影年月日は16ミリフィルム「越後三面行」によれば昭和8年5月、『犬歩当棒録』旅譜によれば6月となる 昭和8(1933) 新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
7 壁に吊るした木碗とハケ 高橋文太郎 ・柄の無い木碗と小さな竹箒状のものが繋がれ上から掛けられている・『早川孝太郎全集』ⅩⅡp.532には「壁に吊るした木碗とハケ。木碗に作る塩水を、ハケで飛ばして家中を祓い清める。当主の毎朝の仕事だった。」と記されている・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる 昭和8(1933) 新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
8 高橋源蔵氏の畑での種まき 不明     新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
9 渋沢を中心にして撮った高橋源蔵一家写真(台紙記載参照) 高橋文太郎 ・渋沢敬三や高橋源蔵一家の他に早川孝太郎、村上清文も写っている・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる・撮影年月日は16ミリフィルム「越後三面行」によれば昭和8年5月、『犬歩当棒録』旅譜によれば6月となる・被写体は渋沢を中心に高橋源蔵氏一家、早川孝太郎、村上清文 昭和8(1933) 新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
10 建物の横で一列に並ぶ家族の写真 高橋文太郎 ・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる 昭和8(1933) 新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
11 女性と子供達 高橋文太郎 ・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる・撮影年月日は16ミリフィルム「越後三面行」によれば昭和8年5月、『犬歩当棒録』旅譜によれば6月となる 昭和8(1933) 新潟県三面村岩崩 写真資料 日本常民文化研究所
12 油締機で油を絞る様子 村上清文 ・撮影地は写1-12内で形式や写真類から推定による・木製の枠の上部を縄で固定し斜めの位置を保たせている。木枠の中間部に角材が通され、その下に円形の部位があり、ここから液体が碗に注がれている。被写体の2人は中間部の角材上部にあるカスガイを打ち込む事により、圧力をかけていると考えられる・本資料は、ア-37-4と関連しており、『渋沢敬三 上』「村上清文氏談話」p.523に村上清文が三面村で宿泊していた家の名前が「高橋」との記述があるため、宿泊している際に撮影されたと考えられる   新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
13 小正月の飾り 高橋文太郎 ・本資料は小正月のダンゴ飾りを撮影したもの。木には鯛の飾りの他、紙風船が吊るされている・写真中に「::拾二月☆」と書かれた「十二グヮヅ」と呼ばれるものが見える(『越後三面村布部郷土誌』pp.53-54参照)。ダンゴ飾りに掛けられている飾り物の名称は『越後三面村布部郷土誌』pp.52-53によると「此の日まで松を飾つて置く家では其れを外し、團子を木に刺す。其の木は大正月の二日に伐つて來たものである。(中略)此等の團子をさした木をクヮンダエとも言ふ。クヮンダエにはアワボー(藁に餅を巻きつけたもの)、マエダマ(ノエゴ―藁のミゴ―に小さな餅切れを點々と付けたもの)、ガラガラヘンベ(大黒様や鯛や、鶏や、打出の小槌等の形をした煎餅)や美しい布切れで作つた袋などを下げる。」とある・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
14 神棚と小正月の飾り 高橋文太郎 ・本資料は神棚に供えられたダンゴ飾りヵ。これには鯛型のガラガラヘンベ(大黒様や鯛や、鶏や、打出の小槌等の形をした煎餅『越後三面村布部郷土誌』pp.52-53)が飾られている・神棚の右に貼られた紙には、絵と文字が書かれているが詳細不明・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる・撮影地は写1-12内で形式や写真類から推定による   新潟県・山形県 写真資料 日本常民文化研究所
15 丸木舟の川舟(サメヅラ)作り 高橋文太郎 ・手に手斧を持ち木の内側を削っている・『山に生かされた日々』p.148における丸木舟作り復元の工程では、ヘサキを作る事を「底どり」と称しており、「材を横にねかせ」とある。本資料は、ヘサキの内部を刳りぬいている。被写体の男性が使用しているのはコマチョウナヵ・題名は河1-29-5-8~29-5-9を参照、そこには三面川とあり撮影地域もこれによる・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県 写真資料 日本常民文化研究所
16 丸木舟の川舟(サメヅラ)作り 高橋文太郎 ・手に手斧を持ち木の内側を削っている、傍らには墨壺と曲尺がある・ア-38-16の台紙記載によると「ハンバキと中」とある。ハンバキは『山に生かされた日々』p.148によると「半ばきとり 舟の側面を、オビラキと同じ方法で刳っていく」とある。「中」とは「中ぐり」とも考えられるが、被写体がコマチョウナを用い、ヘサキの作業をしているため「コマキとり(コマチョウナで舟の内部をきれいにしあげる)」の作業と考える・被写体の男性は頭に手拭を被り、モンペに仕事着の格好。舟のヘサキには墨壺、竹尺が置かれている・題名は河1-29-5-8~29-5-9を参照、そこには三面川とあり撮影地域もこれによる・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県 写真資料 日本常民文化研究所
17 丸木舟の川舟(サメヅラ)作り 高橋文太郎 ・手にスコップ状の道具を持ち削った木片を片付けている男が二人見える・本資料は完成した丸木舟の周囲に溜まった木屑を片づけて居る場面ヵ。被写体の男性2人が丸スコップで片づけている・題名は河1-29-5-8~29-5-9を参照、そこには三面川とあり撮影地域もこれによる・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県 写真資料 日本常民文化研究所
18 丸木舟の川舟(サメヅラ)作り 高橋文太郎 ・手に手斧を持ち木の内側を削っている、傍らには墨壺と曲尺がある、写1-12-18と同作業を別のカットから撮ったと思われる・ア-38-17台紙記載によるとトモの部分での作業。「ハンバキと中」とある。ハンバキは『山に生かされた日々』p.148によると「半ばきとり 舟の側面を、オビラキと同じ方法で刳っていく」とある。「中」とは「中ぐり」とも考えられるが、被写体がコマチョウナを用い、ヘサキの作業をしているため「コマキとり(コマチョウナで舟の内部をきれいにしあげる)」の作業と考える・被写体の男性は頭に手拭を被り、モンペに仕事着の格好。舟のヘサキには墨壺、竹尺が置かれている・題名は河1-29-5-8~29-5-9を参照、そこには三面川とあり撮影地域もこれによる・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県 写真資料 日本常民文化研究所
19 神送りの藁人形 高橋文太郎 ・題名の「神送りの人形」は奥三面歴史交流館にある同様の人形の呼称による・『山に生かされた日々』p.47によると「神送りは、旧暦の2月2日。新暦でいえば3月はじめごろ。そうすると、そろそろ外に出て働くわけだ。病気になるのもこのころだし、厄病神を送るという意味でねえかな。(中略)ワラ人形をつくって、夕方に15若え衆(15歳になった青年たち)が人形をかついで、部落を3回まわってから人形たて場(部落の前田の渕)に立ててくるわけだ。それに子供が、カネたたきながら、「何神送れば、はやり神送るわ、送るわ」と叫んでついてくんだぜ。昭和37年に、この祭りはやめちまったどもな。」との記述がある・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる   新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
20 捏ね鉢で団子を作る二人の女性 高橋文太郎 ・捏ね鉢のほかに笊や盥上の桶にも団子が見え大量に作っていることから行事に関する団子作りと思われる(小正月の準備ヵ)・写1-12-25裏面に「高橋文太郎氏作」とあり、10.2×7.7の大きさの写真は高橋文太郎による撮影の可能性が考えられ、当写真も同一の大きさによることから撮影者はこれによる・撮影地は写1-12内で形式や写真類から推定による   新潟県・山形県 写真資料 日本常民文化研究所

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