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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 ササとネズミを積んだ薪木船 不明 ・当該資料とは別カットの写真がアチック・ミューゼアムノート17『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵36、『屋根裏の博物館 ―実業家渋沢敬三が育てた民の学問―』p.72「1 焚木を運ぶ」、ア18-50-2に掲載されている 昭和12(1937) 高井神島 写真資料 日本常民文化研究所
2 焚木を運ぶ 不明 ・『瀬戸内海島嶼巡訪日記』写真37と同じ大きさのトリミング指示が写真の裏面にあり・『瀬戸内海島嶼巡訪日記』p.97にある「概観」の焚き木に関する記載は宮本常一 昭和12(1937) 高井神島 写真資料 日本常民文化研究所
3 宇和島城での記念写真 宮本馨太郎 ・城の写真 昭和11(1936) 宇和島 写真資料 日本常民文化研究所
4 頭屋が済んだ印「的」 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-34-1とア-18-34-2は同じ頁に貼られている・この頁は台紙が天地逆に綴じられその上に写真が貼付されている・題名は『瀬戸内海島嶼巡訪日記』写真50を参考、同調査内での写真と考えられる 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
5 船出した船から港を望む 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-35-1とア-18-35-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る船の一部(柱)が瀬戸内調査で使った福武丸と同一であるところから瀬戸内海とした(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、) 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
6 ユングリ 礒貝勇 ・撮影者磯貝勇は背表紙記載内容、中表紙(18-33)に依る・18-41-1と18-41-2は同じ頁に貼られている・撮影地等情報は台紙記載の「魚島」より、『瀬戸内海島嶼巡訪日記』p.96魚島の「語彙」を見ると「ユングリ」として「藁製盥型容器。之にチンコマメと称する豆類が入っていた」との記載があり写真に写っているものと同様のものと考えられる、因みにこの記載は磯貝による 昭和12(1937) 魚島 写真資料 日本常民文化研究所
7 浜辺にて話をする渋沢とアチック同人(渋沢敬三・宮本馨太郎・小川徹・村上清文(ヵ)他一名) 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-42-1とア-18-42-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る人物とその服装並びにアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、)・渋沢敬三・宮本馨太郎・小川徹・村上清文(ヵ)他一名が写っている、因みに渋沢の前に16mmフィルムカメラがある 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
8 浜辺から船出しようとする船 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-45-1とア-18-45-2は同じ頁に貼られている・撮影地はアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』、) 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
9 塩田の遠景 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-45-1とア-18-45-2は同じ頁に貼られている・『アチックマンスリー』によると製塩工場塩田見学は味野~釜島間にて記載され(p.98)、また『瀬戸内海島嶼巡訪日記』では「味野」で記載されている(p.13)、因みにここでの記載は花田一重、しかしフィルムでは比較的後半に写し込まれているため時系列的には矛盾している、そのため撮影地撮影日時は推定にした 昭和12(1937) 味野または味野~釜島 写真資料 日本常民文化研究所
10 除虫菊 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-46-1とア-18-46-2は同じ頁に貼られている・『瀬戸内海島嶼巡訪日記』「16ミリフィルム24 塩飽1&2」等に除虫菊の記載・撮影がされているため撮影地・撮影日時はこれを基にした 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
11 海辺の石垣の上に座る子供たち 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-47-1とア-18-47-2は同じ頁に貼られている・どこの海辺か不明   瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
12 草むらに座るアチック同人(櫻田勝徳・磯貝勇・小川徹・宮本馨太郎) 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-48-1とア-18-48-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る人物とその服装並びにアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、)・桜田勝徳・礒貝勇・小川徹・宮本馨太郎が写っている、因みに磯貝の首にカメラと思われるカバンが掛かっている 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
13 船から望む「八ノ峰登山口」 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-48-1とア-18-48-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る看板「国立公園」「八ノ峰登山口」「中□旅館」とアルバム自体の編集方針から・昭和9年に瀬戸内海諸地域が国立公園にしていされているので瀬戸内調査と重なるどこかの島と考えられる 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
14 波止場・船着場にいる調査団一行(永山卯三郎・結城次郎・花田一重など) 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-49-1とア-18-49-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る人物とその服装並びにアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、)・どこの島の波止場か詳細不明 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
15 船上から海面を望く渋沢(他2名) 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-49-1とア-18-49-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に渋沢とその服装並びにアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、)・どの海域の船上かまた写っているその他の人物も詳細不明 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
16 船からササとネズミ(柴)を下ろす 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-50-1とア-18-50-2は同じ頁に貼られている・当該資料とは別カットの写真がアチック・ミューゼアムノート17『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵36・『屋根裏の博物館 ―実業家渋沢敬三が育てた民の学問―』p.72「1 焚木を運ぶ」・河岡01-8-7に掲載されている、撮影地・撮影日時はここから 昭和12(1937) 高井神島 写真資料 日本常民文化研究所
17 老人に話を聞こうとする渋沢ら調査団(渋沢敬三・山口和雄・村上清文・花田一重ほか) 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-51-1とア-18-51-2は同じ頁に貼られている・撮影地は写真に写る人物とその服装並びにアルバム自体の編集方針から(『瀬戸内海島嶼巡訪日記』口絵「福武丸と一行」参照、)・どこの島の波止場か詳細不明だが「16ミリフィルム24 塩飽1&2」11:03ごろに同一人物が写っている 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
18 玄関先にあるテントウバナ 礒貝勇 ・撮影者礒貝勇は背表紙記載内容、中表紙(ア-18-33)に依る・ア-18-52-1とア-18-52-2は同じ頁に貼られている・『瀬戸内海島嶼巡訪日記』p.22に「四月八日 天道花を味野以来各島で見る。(中略)此花は竹竿の先に躑躅の花をつけたもので、竿は長い程為になると云っている。」とあり、当写真内でもそれが確認できる。よって同調査内のどこかの島の写真と考えられる 昭和12(1937) 瀬戸内海 写真資料 日本常民文化研究所
19 とある島の遠景、海上に浮かぶもの(浮きやアバヵ) 宮本馨太郎 ・写真下部の海面上に浮いている黒い玉状のものは詳細不明ガラス製の浮玉【アバ】ヵ・撮影者は写真のカットの大きさ(6×6)や宮本記念財団に同一の写真があることから宮本馨太郎と判断、また撮影日も宮本、小川、高橋が朝鮮に調査に入っている期間から判断、尚、撮影日は渋沢敬三『犬歩当棒録』旅譜や『宮本記念財団 路上スケッチ1』中台紙記載「宇和島」などからの推定による。 昭和11(1936) 宇和島 写真資料 日本常民文化研究所
20 櫓漕ぎの網舟2艘 宮本馨太郎 ・アルバム61‐36と同被写体と思われる船の別カット・撮影者は写真のカットの大きさ(6×6)から宮本馨太郎と判断、また撮影日も宮本が朝鮮に調査に入っている期間から判断、尚、撮影日は渋沢敬三『犬歩当棒録』旅譜、『朝鮮多島海旅行覺書』などからの推定による 昭和11(1936) 宇和島、宿毛、中村、窪川、須崎 写真資料 日本常民文化研究所

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