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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 マワシタカミ漁のタテアミ 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『糸満漁夫の聞書』p.7に「漁網 マワシタカミはタテアミとフクロから成つてゐる。タテアミはミチ網にひとしい。タテ網は長さ十六尋巾六尋の網を十六位繋ぎ合せたもので、上端に浮子(オキアバといふ)をつけ、下端に沈子(アシアバといふ)をつけてゐる。オキアバは□型の平たい板(多くは杉)で作り、アシアバは子安貝(シビ又はセビといふ)で作られてをりなほ沈子として三百匁位の石が二尋毎に附着せられてゐる」とあり、題名はこれによる・二重露光されている・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
2 船上から見るイトマン漁(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「64 イトマン漁」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
3 船上から見るイトマン漁(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・写3-5-4の船に近付いたものヵ・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
4 ハギ舟と動力船(ハギ舟を曳航するための船、かもめ丸) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』p.20に同一の写真あり、『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。切り取ったと考えられる台紙には「62 隠岐旅行 昭和10.8. チェック印」と記載されている。常一のもとにある写真はアチックから焼き増しされた写真と考えられる。撮影地・撮影年月日はこれによる・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(p.8)にマワシタカミ漁の漁法説明として「午前七時頃發動船一艘にハギ舟六艘が曳かれて、之に糸満漁夫が分乗して漁場に向かふ。」とあり、題名の「ハギ舟」はこれによった・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
5 船上から見る牧畑(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』p.21に同一の写真あり、『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「68 隠岐旅行 牧畑」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。撮影地・撮影年月日はこれによる・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
6 牧ノ垣(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「69 牧ノ垣」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
7 牧ノ垣(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「69 牧ノ垣」と記載されている写真と同被写体。写す角度が少し違うのみでほぼ同時刻に撮影されたと思しき写真。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
8 アカギンを着た漁師による網染め(引用・使用媒体参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(p.15)に「網染め 綱網一切は豚血若しくは牛血で染める。此染槽にはサバニイを用ゐる」とありその様子と考えられ、また同書(p.16)に「アカギン ウミギンともいふ。漁夫の仕事着即ち沖着物である。太い縦縞の腰切りの木綿衣で、之はカッチで染めてゐる。」とある。写3-5-13と同状況・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
9 チイバクグワアとカタツパアフウゾウ((引用・使用媒体参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』口絵トレースに「チイバコガア カタツパアフウゾー」とあり、題名はこれと本文内容から。同書では背景を白で潰している・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(p.16)に「カタツパアフウゾウ 船中に持ち込む所謂枕箱の事。枕に使用し、莨入れともなる。フウゾウとは煙草入れの事であるといふ」とあり、同書(p.16)「チイバクグワア 漁具、食料その他を入れる沖箱」とあり・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
10 イトマン漁船(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「63 イトマン漁船」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
11 動力船に曳航されるハギ舟 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(p.8)にマワシタカミ漁の漁法説明として「午前七時頃發動船一艘にハギ舟六艘が曳かれて、之に糸満漁夫が分乗して漁場に向かふ。」とあり、題名の「ハギ舟」はこれによった・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
12 国旗をつけた船に乗る子供達とイトマン漁夫(備考参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「66 イトマン漁夫 島根縣隠岐にて」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
13 アカギンを着た漁師による網染め(引用・使用媒体参照) 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』口絵トレースに「網染め アガギン」とあり、題名はこれと本文内容から。・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(p.15)に「網染め 綱網一切は豚血若しくは牛血で染める。此染槽にはサバニイを用ゐる」とありその様子と考えられ、また同書(p.16)に「アカギン ウミギンともいふ。漁夫の仕事着即ち沖着物である。太い縦縞の腰切りの木綿衣で、之はカッチで染めてゐる。」とある。・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
14 二艘並ぶカンコ、あるいはサバニ 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・画像が不鮮明で詳細不明・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
15 屋根を付けたカンコ二艘 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
16 港に停泊する船「千代丸」と漁船、境町渡 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・『宮本常一 写真・日記集成』はもともと台紙に添付されていたものを台紙ごと切り取りアルバムに貼りつけたもの。貼りつけられたアルバム欄外にはには「65 イトマン漁民」と記載されている。アチックから焼き増しされた写真と考えられる。・境町渡とあることから境町(現境港)と隠岐を結ぶ定期船の船着所と考えられるが、どの島か詳細不明・本資料はネガシートフィルム(手札判)・県立公文書館県史編さん室学芸員樫村賢二氏によると「撮影地はたぶん境港市じゃないかと思います。 景色的には奥に島根半島があり水道の幅からすると境水道ぽいです。 しかし写真中にある「境町渡」となると中海側になるので、 奥に島根半島がみえる景観とあわず不思議な気がします。」とされ撮影地は境港の可能性がある(2012.6)、写真内に写る「境町渡」は「境町の渡し」のことヵ 昭和10(1935) 隠岐、境港 写真資料 日本常民文化研究所
17 牧畑の境の柵 不明 ・写3-5-18の白色の「東京都芝区三田綱町十番地 澁澤敬三」と印刷された封筒にはいっていたものヵ・渋沢フィルム整理整理カードには「隠岐○○○」とあり・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 隠岐 写真資料 日本常民文化研究所
18 マワシタカミ漁で魚を追い出すために広がった船 不明 ・写3-28-8の「さくらクロ-ムフィルム」の封筒に入っていたものヵ・渋沢フィルム整理カードには「オキ 糸□?」とあり・封筒記載文の■は「満」ヵ・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(pp.8-9)にマワシタカミ漁の漁法説明として「午前七時頃發動船一艘にハギ舟六艘が曳かれて、之に糸満漁夫が分乗して漁場に向かふ。(中略)まづタテ網を積んだ二艘の船が圖の如く網をはると共に、三艘の船も圖示する如く一ヶ所から三方に漕ぎわかれてフクロをはる。さうして空船を網につなぎ、これをフクロの口の目標として船または泳いで各人は魚を追ひ出す線上に到り、ヤマを一づゝ受取ると海中に踊り込んで追魚作業に移る。」とあり、題名はこれによった・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
19 マワシタカミ漁で魚を追い出すために広がった船 不明 ・写3-28-8の「さくらクロ-ムフィルム」の封筒に入っていたものヵ・渋沢フィルム整理カードには「オキ 糸□?」とあり・封筒記載文の■は「満」ヵ・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(pp.8-9)にマワシタカミ漁の漁法説明として「午前七時頃發動船一艘にハギ舟六艘が曳かれて、之に糸満漁夫が分乗して漁場に向かふ。(中略)まづタテ網を積んだ二艘の船が圖の如く網をはると共に、三艘の船も圖示する如く一ヶ所から三方に漕ぎわかれてフクロをはる。さうして空船を網につなぎ、これをフクロの口の目標として船または泳いで各人は魚を追ひ出す線上に到り、ヤマを一づゝ受取ると海中に踊り込んで追魚作業に移る。」とあり、題名はこれによった・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所
20 マワシタカミ漁で獲れた網の上の魚、タモですくいあげた魚 不明 ・写3-28-8の「さくらクロ-ムフィルム」の封筒に入っていたものヵ・渋沢フィルム整理カードには「オキ 糸□?」とあり・封筒記載文の■は「満」ヵ・『隠岐島前に於ける糸満漁夫の聞書』(pp.8-9)にマワシタカミ漁の漁法説明として「午前七時頃發動船一艘にハギ舟六艘が曳かれて、之に糸満漁夫が分乗して漁場に向かふ。(中略)まづタテ網を積んだ二艘の船が圖の如く網をはると共に、三艘の船も圖示する如く一ヶ所から三方に漕ぎわかれてフクロをはる。さうして空船を網につなぎ、これをフクロの口の目標として船または泳いで各人は魚を追ひ出す線上に到り、ヤマを一づゝ受取ると海中に踊り込んで追魚作業に移る。」とあり、題名はこれによった・本資料はネガシートフィルム(手札判) 昭和10(1935) 島根県隠岐郡西ノ島町船越 写真資料 日本常民文化研究所

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