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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 北設楽郡下津具村和市のヒゴヤ 榎本文治 ・撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p.226、澁澤敬三『犬歩当棒録』「旅 譜」の記述により、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2日に撮影されたものと推定・本資料に写るヒゴヤは昭和8年1月に撮影された16ミリフィルム「三河地方旅行1&2」03:26に見えるが、その後の経年で本資料撮影時には屋根の一部が破損している 昭和10(1935) 北設楽郡下津具村和市 写真資料 日本常民文化研究所
2 三河田口より和市へ向かう途次の宇野圓空博士と澁澤敬三 榎本文治   昭和10(1935) 三河田口から和市への途次 写真資料 日本常民文化研究所
3 花祭見学の一行の後ろ姿(澁澤敬三ほか) 榎本文治 本資料は同場面での撮影とみられるア-27-5の引用・使用媒体『犬歩当棒録』p.436でのキャプションの日付を撮影年月日とした、撮影地域もこれによる。 昭和10(1935) 三河田口から和市への途次 写真資料 日本常民文化研究所
4 舞う渋沢敬三 榎本文治 撮影年月日は『本山雑記』p227による。柴田実「忘れえぬ思い出二 題」p6『渋沢敬三先生』近畿民俗学会(昭和39年8月)に「その夜、 宴のはずむとともに、先生は座を立って近くにあった箒を手にとり、 それを鬼の斧に見たてて、ターフレ、タフレーとはやしながら伴鬼の舞を踊られた。」とあるが、本資料との関係は不明。撮影年月日は、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2日に撮影されたものと推定したが、撮影場所は当時、花祭を見学した御園・中在家のどちらかと推定される。 昭和10(1935) 愛知県北設楽郡園村または本郷町 写真資料 日本常民文化研究所
5 奥三河の山々と坂道を行く花祭見学一行 榎本文治 ・撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定。 昭和10(1935) 三河田口附近 写真資料 日本常民文化研究所
6 北設楽郡下津具村和市のヒゴヤ 玉生道経・榎本文治 ・撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226、渋沢敬三『犬歩当棒録』「旅 譜」の記述により、榎本文治 が中在家花祭に同行した昭和10年1月2日に撮影されたものと推定。本資料に写るヒゴヤは昭和8年1月に撮影された16ミリフィルム「三河地方旅行1&2」03:26に見えるが、その後の経年で本資料撮影時には屋根の一部が破損している。撮影者はアルバム前後の写真から玉生道経か榎本文治と推定される。 昭和10(1935) 北設楽郡下津具村和市 写真資料 日本常民文化研究所
7 北設楽郡本郷町中在家の花祭の榊鬼面 榎本文治 ・本資料と河1-29-20-8は同一の被写体、同一の場面。撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、玉生道経が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定。本資料に写る榊鬼面は前年に撮影された16ミリフィルム「花祭り」08:32に見える。 昭和10(1935) 北設楽郡本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
8 北設楽郡本郷町中在家の花祭の山割鬼面 榎本文治 ・本資料と河1-29-20-7は同一の被写体、同一の場面。撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、玉生道経が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定。 昭和10(1935) 北設楽郡本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
9 船に乗った弁財天像 榎本文治 ・本資料は台紙記載の撮影者、アルバムの中表紙、アルバムのナンバリング番号等から撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、玉生道経が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定したが、被写体の詳細は不明、撮影場所は当時、花祭を見学した御園・中在家のどちらかと推定される。ア-27-13と同一被写体と考えられる。 昭和10(1935) 北設楽郡園村御園・本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
10 花祭の面がならぶ神部屋 榎本文治 ・本資料は台紙記載の撮影者、アルバムの中表紙、アルバムのナンバリング番号等から撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、玉生道経が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定したが、被写体の詳細は不明、撮影場所は当時、花祭を見学した御園・中在家のどちらかと推定される。 昭和10(1935) 北設楽郡園村御園・本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
11 神前(神棚)の様子 榎本文治 ・本資料は台紙記載の撮影者、アルバムの中表紙、アルバムのナンバリング番号等から撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、玉生道経が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定したが、被写体の詳細は不明、撮影場所は当時、花祭を見学した御園・中在家のどちらかと推定される。 昭和10(1935) 北設楽郡園村御園・本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
12 熊野神社の幟が立つ花祭の花宿前に集まる人々 榎本文治 ・本資料は台紙記載の撮影者、アルバムの中表紙、アルバムのナンバリング番号等から撮影場所、撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日に撮影されたものと推定したが、被写体の詳細は不明、撮影場所は当時、花祭を見学した御園・中在家のどちらかと推定される。 昭和10(1935) 北設楽郡園村御園・本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
13 中在家の花祭の舞庭 榎本文治 ・本資料は釜の作り方から中在家の花祭りの湯釜と推定した。撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日であるが、周囲が明るいことから1月3日午前と推定。以上のことから引用・使用媒体媒体では「田口町」とあるがこれは誤りと見られる。 昭和10(1935) 北設楽郡本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所
14 中在家の花祭の湯釜と舞手 榎本文治 ・本資料は釜の作り方から中在家の花祭りの湯釜と推定した。撮影年月日は『本山雑記』p226の記述により、榎本文治が中在家花祭に同行した昭和10年1月2・3日であるが、周囲が明るいことから1月3日午前と推定。 昭和10(1935) 北設楽郡本郷町中在家 写真資料 日本常民文化研究所

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