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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 大小二つの天草取の桶(ハギリ、底面) 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-24と同一のネガフィルム。写真資料記載に「早川 天草取ノ桶(ハギリ)」とある・桶の底部に「∧三」の印がある。撮影されている二つの桶の底部には縄状のものが通されている・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 早川 写真資料 日本常民文化研究所
2 村上町の市 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・本資料はア-32-19と同一のネガフィルム村上町の市を撮影したもの。道路には渋沢、伊豆川浅吉らしき人物が見える・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による、台紙記載の「二.七日」については詳細不明) 昭和13(1938) 村上町 写真資料 日本常民文化研究所
3 大小二つの天草取の桶(ハギリ) 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-23と同一のネガフィルム。ア-32-23の台紙記載によると上海府村早川(現新潟県村上市早川地区)でハギリ(桶)を撮影したもの・本資料の台紙記載によると右が「一番」と称するもので、左が「子供用」とある。『村上市史』p.567によると「潜るときは、天採り桶(ハンゾウ)の底から細縄をつけて、その縄の端を腰に結ぶ。」とある。また『図説日本民俗誌 新潟』(新潟県民俗学会 1989年)pp.23-24には「てんぐさ採り」「磯漁」の写真が掲載されており、本資料の「一番」のハギリはその大きさから磯漁に使われたとも考えられる・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 早川 写真資料 日本常民文化研究所
4 女性の背負う背負い籠に鮭を入れる男性 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-12と同一のネガフィルム。・背中にコエカゴを背負い、その中に鮭を入れている。もう一人の人物は、帽子を被り、長靴を履き鮭を入れているようである。本資料左下には、鮭が並べられている・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
5 三面川における鮭の入札 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・三面川の鮭売場。河1-29-5-11と同一のネガフィルム・本資料は地面の上に並べられた鮭を人々が見ている。名前の入った羽織や前掛けが撮影されているが、読み取る事はできない・本資料手前に撮影されている背広に下駄履きの人物はアチック同人ヵ・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川種川岸 写真資料 日本常民文化研究所
6 河原に引き上げられた大網 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-24と同一のネガフィルム・河原に上げられた大網。ア-32-24の台紙には「三面川」とあるため、三面川の河原における撮影ヵ。川原に杭を立て、大網を掛けている・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
7 鮭の人工孵化 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-17と同一のネガフィルム。本資料は種川の河原において黒い容器の中に鮭の卵を入れている。本資料中央の帽子を被った人物が雄鮭の精子を絞り出しているようだが、背広を着ているため河原における鮭の人工孵化の体験であると考えられる・『三面川の鮭の歴史』p.99によると、種川における鮭の人工孵化は、村上本町字掘片に孵化場を建て、明治11年12月より内務省農務局の金田帰逸氏の指導を受けていた事が記されている。種川では、天然の増殖法と、孵化場での人工孵化と両立てで鮭の増殖を行なっているという・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
8 三面川の地引き大網漁、網にかかった鮭 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-16と同一のネガフィルム。引き上げられた網にかかった鮭・網の側に立つ人物たちはツバのある帽子を被り、毛皮らしきものを着ている者、ほっかむりをしている者などを見る事ができる・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
9 三面川の地引き大網漁、追舟 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-14と同一のネガフィルム。本資料は台紙に「大網―追舟」とある事から網をうった後に、鮭を追い込んでいる場面であると考えられる・『村上市史』p.533によると地引き大網漁は「舟は全長33尺、胴幅5尺の大網舟を用いる。アシ(沈子)の部分を舳先側、アバ(浮子)は艫側に積む。船には操船3人、網入れ2人の屈強な若者が乗り込む。まず大網の引き網の端を、川岸の3、4人の若者に持たせる。川岸では網が流されないよう、杭にも綱を懸けている。船は網を投げ入れながら全速力で対岸まで向かう。対岸に着くとそこで待つ。2、3町上流から川舟約12艘が船端を棒でたたきながら、下流に渡された網を目指して鮭を追い込んでいく。鮭の群れが、先に川に渡した網にかかるのを見計らい、対岸で待っていた大網船から残りの網を投げ入れながら、出発した場所の引き綱の方へ川を横切って戻る。この時、大網船の動きに呼応して、最初から引き綱を持っていた3、4人の若者が、いっせいに網をたぐりながら下流に走る。船が岸に着くと、船に乗っていた4人が飛び降り、両方で引き綱を引く」とある・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
10 三面川の地引き大網漁、網打ち 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-13と同一のネガフィルム。本資料は三面川に浮かぶ6艘の川舟を遠景から撮影したもの・鮭を獲るための網うちヵ・『村上市史』p.533によると地引き大網漁は「舟は全長33尺、胴幅5尺の大網舟を用いる。アシ(沈子)の部分を舳先側、アバ(浮子)は艫側に積む。船には操船3人、網入れ2人の屈強な若者が乗り込む。まず大網の引き網の端を、川岸の3、4人の若者に持たせる。川岸では網が流されないよう、杭にも綱を懸けている。船は網を投げ入れながら全速力で対岸まで向かう。対岸に着くとそこで待つ。2、3町上流から川舟約12艘が船端を棒でたたきながら、下流に渡された網を目指して鮭を追い込んでいく。鮭の群れが、先に川に渡した網にかかるのを見計らい、対岸で待っていた大網船から残りの網を投げ入れながら、出発した場所の引き綱の方へ川を横切って戻る。この時、大網船の動きに呼応して、最初から引き綱を持っていた3、4人の若者が、いっせいに網をたぐりながら下流に走る。船が岸に着くと、船に乗っていた4人が飛び降り、両方で引き綱を引く」とある・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
11 2艘の川舟 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・川に浮かぶ2艘の舟を撮影したもの。本資料手前に撮影されている舟の先頭に立つ人物は、網を張っていると考えられる・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の資料であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による)   三面川 写真資料 日本常民文化研究所
12 三面川の地引き大網漁、網よせ 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-1-13)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア32-15と同一のネガフィルム。河原で網を引いている。川舟は河原近くまで接近している・『村上市史』p.533によると地引き大網漁は「舟は全長33尺、胴幅5尺の大網舟を用いる。アシ(沈子)の部分を舳先側、アバ(浮子)は艫側に積む。船には操船3人、網入れ2人の屈強な若者が乗り込む。まず大網の引き網の端を、川岸の3、4人の若者に持たせる。川岸では網が流されないよう、杭にも綱を懸けている。船は網を投げ入れながら全速力で対岸まで向かう。対岸に着くとそこで待つ。2、3町上流から川舟約12艘が船端を棒でたたきながら、下流に渡された網を目指して鮭を追い込んでいく。鮭の群れが、先に川に渡した網にかかるのを見計らい、対岸で待っていた大網船から残りの網を投げ入れながら、出発した場所の引き綱の方へ川を横切って戻る。この時、大網船の動きに呼応して、最初から引き綱を持っていた3、4人の若者が、いっせいに網をたぐりながら下流に走る。船が岸に着くと、船に乗っていた4人が飛び降り、両方で引き綱を引く」とある・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 三面川 写真資料 日本常民文化研究所
13 (封筒) 楫西光速 ・カメラ堂のネガ用封筒、116×153・本資料は【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。封筒の表面には「楫西[様]と鉛筆で横書され、その下に鉛筆で「十一月十五日ー二十三日 村上、新潟地方」とある。その下には印刷された文字で、「カメラと材料品一式 活動写真と附属品 現像・焼付・引伸」とあり、大文字で「カメラ堂」と印刷されている。その下には「麻布区笄町一七六 赤十字社病院正門際 電話赤坂(48)二三二一番 振替東京一六二九八七」と印刷されている・裏面にはライカカメラのイラストと、したに縦書きで「◆御不用のカメラは特別高価に御取引取致します」「◆御交換は是非一度御相談下さる様御勧め致します」「◆カメラの御用は細大共に何でも御申付け下さい」と印刷されている・本資料の裏面にあたる写1-18-6-1-1-13-Bの右面は印刷されたマス目に[No.][現像][焼付][引受][擔當]とあり、[No.]に鉛筆で「D5」と横書き、[現像]へ「1」、[焼付]「12」、[引受]「チェック印」、[擔當]「チェック印」がしてある・左面には四角で囲った中に「◆現像焼付…迅速丁寧を主とし特に焼付は原版に応じて適当の印画紙を用い十分御満足の行く様に仕上げます」「◆引伸…小さな原版の一部分が思いがけない立派な写真となる…引伸は弊店の得意とする処です」「複写…古い汚れた写真も見違える様に立派になります ぜひ一度御試し下さい」と印字されている 昭和13(1938)   写真資料 日本常民文化研究所
14 魚野川のヤナ、ヤナの鮎入れ 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-41のネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-41の台紙記載に魚野川とあることからこれによった・ヤナに水を流しいれた瞬間ヵ・本資料の中央には漏斗の付いた箱(生簀箱、箱生簀)が置かれており、その後ろには簔笠を被った人物が写る、簗にあがったアユをこの箱生簀に手づかみで入れる・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
15 ヤナの鮎入れ 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア32-42ネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-42の台紙記載に魚野川とあることからこれによった・本資料は写1-18-6-1-2-2と同じく生簀箱が置かれている・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
16 魚野川のヤナ、全景 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-40のネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-40の台紙記載に魚野川とあることからこれによった・台紙記載により鮎用のヤナであると考えられる・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
17 鮭の追込み 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-40のネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-42の台紙記載に魚野川とあることからこれによった・ヤナへの鮭の追込み。川舟を使用し、船頭に立つ人物が竿を水面に入れている・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
18 鮭の追込み 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-45と同一のネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-45の台紙記載に魚野川とあることからこれによった・被写体は頭にハチマキをし、手に網を持っている。その足元には魚が転がっている・昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
19 魚野川の鮭を獲るヤナ 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・河1-29-9-9のネガフィルム。アルバム32の資料とも類似している・ア-32-43の台紙記載によるとヤナを使用した鮭漁。ヤナの上には魚が打ち上げられている・魚野川は「旅譜」に記載がないが福島潟近郊にある土地であり撮影日は「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」調査の日程とした 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所
20 ヤナの鮭 楫西光速 ・ネガのみ・本資料は【封筒3】(写1-18-6-1-2-12)に入れられ、【封筒2】(写1-18-6-1-6)に入れられ、【封筒1】(写1-18-6-2)に入れられていた。・ア-32-43のネガフィルムであり、撮影地は紙焼きされたア-32-43の台紙記載に魚野川とあることからこれによった。ヤナの上には魚が打ち上げられている・ア-32が昭和13年11月16日~24日にかけての「藤塚浜、福島潟、寺泊、野積」(『旅譜』)の調査写真であり、ア-32-2などと同様の印画紙(6×6)であることから撮影日はこれによった(『旅譜』に記載のない16日、17日の日付はア-32内の台紙記載による) 昭和13(1938) 魚野川 写真資料 日本常民文化研究所

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