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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 荒瀬村根子の狩猟の際に山に持っていく魔除けのオコゼ 木川半之丞 ・本資料はナンバリングからアルバム50から抜き出されたものと見られる。アルバム50は全体が調査風景や調査内容、引用・使用媒体から昭和十一年三月に行われた武藤鉄城と高橋文太郎の調査と考えられ、撮影者など詳細はこれら調査をまとめた『秋田マタギ資料』によった(尚、常民文化研究所が所蔵する『秋田マタギ資料』は写真貼付部分が落丁しているので(詳細不明)、典拠は三一書房『日本常民生活資料叢書』第10巻pp..761-888によった。ただし、撮影日・撮影地は木川半之丞撮影であることから、アチックミューゼアム内での撮影の可能性もあり不明とした。   不明 写真資料 日本常民文化研究所
2 荒瀬村根子の狩猟の際に山に持っていく魔除けのオコゼ 木川半之丞 ・本資料はナンバリングからアルバム50から抜き出されたものと見られる。アルバム50は全体が調査風景や調査内容、引用・使用媒体から昭和十一年三月に行われた武藤鉄城と高橋文太郎の調査と考えられ、撮影者・撮影日など詳細はこれら調査をまとめた『秋田マタギ資料』によった(尚、常民文化研究所が所蔵する『秋田マタギ資料』は写真貼付部分が落丁しているので(詳細不明)、典拠は三一書房『日本常民生活資料叢書』第10巻pp..761-888によった。本資料は写1-3-22の別カットのため、撮影者はこれによる。   不明 写真資料 日本常民文化研究所
3 荒瀬村根子の狩猟の際に山に持っていく魔除けのオコゼ 木川半之丞 ・本資料はナンバリングからアルバム50から抜き出されたものと見られる。アルバム50は全体が調査風景や調査内容、引用・使用媒体から昭和十一年三月に行われた武藤鉄城と高橋文太郎の調査と考えられ、撮影者・撮影日など詳細はこれら調査をまとめた『秋田マタギ資料』によった(尚、常民文化研究所が所蔵する『秋田マタギ資料』は写真貼付部分が落丁しているので(詳細不明)、典拠は三一書房『日本常民生活資料叢書』第10巻pp..761-888によった。本資料は写1-3-22の別カットのため、撮影者はこれによる。   不明 写真資料 日本常民文化研究所
4 こまがた 木川半之丞 ・台紙には馬の絵とその絵の下にVICTORYと透かしがある、またこの台紙は写1-12の中で異例の大きさである(通例は20.5×16.3、当台紙は25.7×20.5)・(『越後三面村布部郷土誌』「ヤソ様」では「館腰村小揚の佐藤」氏から各家にお札を配る際の御札の記載があり、また「馬の姿が書ゝれてあるお札」との記載もある(『越後三面村布部郷土誌』p.125参照)   新潟県三面村三面 写真資料 日本常民文化研究所
5 藁靴(フカグツ)を編む田中喜多美 木川半之丞 ・題名は渋沢フィルムDVD26「ワラ靴製作」に同一の人物が写り、これが田中喜多美であることによった・因みにこの前日が敬三の誕生日であることからそれで呼ばれたまたは16ミリフィルムでの撮影になったかといった何かしらの関係があるか・撮影者は関連目録番号資料により、アチックでのガラス板写真であることから木川半之丞と推定した。 昭和8(1933) 三田綱町邸 写真資料 日本常民文化研究所
6 雲水の旅装を着けた高嶺道隆君 木川半之丞 ・台紙には馬の絵とその絵の下にVICTORYと透かしがある、またこの台紙は通常の台紙より大きい(通例は20.5×16.3、当台紙は25.7×20.5)・台紙記載の「高嶺道隆」は濱谷浩写真集『雪国』(昭和31年)の後書きに「桑取谷高住、洞泉寺住職高嶺道隆師」(同書p,19)とあり同人かと思われる・この台紙は横にして使われている 昭和11(1936) 新潟県中頸城郡桑取谷 写真資料 日本常民文化研究所
7 雲水の旅装を着けた高嶺道隆君、後ろ姿 木川半之丞 ・台紙には馬の絵とその絵の下にVICTORYと透かしがある、またこの台紙は通常の台紙より大きい(通例は20.5×16.3、当台紙は25.7×20.5)・台紙記載の「高嶺道隆」は濱谷浩写真集『雪国』(昭和31年)の後書きに「桑取谷高住、洞泉寺住職高嶺道隆師」(同書p,19)とあり同人かと思われる・この台紙は横にして使われている 昭和11(1936) 新潟県中頸城郡桑取谷 写真資料 日本常民文化研究所
8 背負い袋を背負う田中喜多美(後ろ姿) 木川半之丞 ・台紙にはESPARTO SUPERFINEと馬の絵と透かしがある、またこの台紙は通常の台紙より大きい(通例は20.5×16.3、当台紙は25.7×20.5)・撮影者は関連目録番号資料により、アチックでのガラス板写真であることから木川半之丞と推定した。 昭和8(1933) 三田綱町邸 写真資料 日本常民文化研究所
9 山仕事道具を背負いこちらを向く田中喜多美(腰ミノ) 木川半之丞 ・台紙にはESPARTO SUPERFINEと馬の絵と透かしがある、またこの台紙は通常の台紙より大きい(通例は20.5×16.3、当台紙は25.7×20.5)・撮影者は関連目録番号資料により、アチックでのガラス板写真であることから木川半之丞と推定した。 昭和8(1933) 三田綱町邸 写真資料 日本常民文化研究所
10 シイッコサマ(シイッコサマ夫妻)(刊行物記載による) 木川半之丞 ・撮影地域は旅譜による推定・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある 昭和6(1931) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
11 シイッコサマ 木川半之丞   昭和6(1931) 青森県西津軽郡車力 写真資料 日本常民文化研究所
12 手ツム(封筒・刊行物記載文による) 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「手ツム 使用麻糸ヨリノ実況」「外ニ 渋沢子爵ノ活動写真ニ撮影」「石田キク(六七)」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある) 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
13 稗室の内部 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻・『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
14 大屋斎藤家成員および雇人 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻・『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「斎藤家々族及ビ使用人」「本家屋ハ文政三年庚辰三月十一日建築」「外ニ渋沢子爵ノ活動写真ニモ撮影ス」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある) 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
15 大屋斉藤家ジョウイ、マツトウガイやヤグラ(刊行物記載による) 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻・『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある・ジョウイとは玄関から上がって取付きの部屋(「大家族制度と名子制度」『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』p.260)・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「明松ノ燈スノ影」「渋沢子爵ノ来遊ノ節」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある) 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
16 大屋斎藤家ダイドコ 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻・『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「臺所」「嬰児 斎藤イネ(一) 斎藤セツ(二四) 橋本キヨ(五七)」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある) 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
17 大家斎藤家母屋表側 木川半之丞 ・渋沢敬三著作集第3巻・『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「斎藤家全影」「文政三年庚辰三月十一日建築」「斎藤安道 斎藤文男 斎藤方男 橋本春孝」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある) 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
18 シイッコサマ(シイッコサマ夫妻)(刊行物記載による) 木川半之丞 ・撮影地域は旅譜による推定・シイツコサマとは河童のことで水虎様かもしれないと渋沢はいう(『東北犬歩當棒録』渋沢敬三p.119図版説明補足「一」)・「津軽 シィッコサマ」の「挿図目次」(『祭魚洞雑録』p.4)に「車力にて発見、児玉久雄君を煩はして別に製作したるもの、アティックミュージアム蔵、木川半之丞君作」とあり 昭和6(1931) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
19 手ツム 木川半之丞 ・台紙には馬の絵とその絵の下にVICTORYと透かしがある・渋沢敬三著作集第3巻『東北犬歩當棒録』には撮影年代は昭和10年とあるが、渋沢が訪れたのは昭和9年であり、また『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』序にも「同研究所(日本常民文化研究所のこと)所蔵の石神部落に関する昭和9年の写真三六葉の掲載」とあるので撮影年代はこれによる・斎藤福徳氏所蔵のアルバムに撮影年月日が「昭和九年九月二十三日」と書かれ、また「手ツム 使用麻糸ヨリノ実況」「外ニ 渋沢子爵ノ活動写真ニ撮影」「石田キク(六七)」ともある(斎藤福徳氏所蔵アルバムは2002年10月の横浜市歴史博物館「屋根裏の博物館」展示の際に刈田氏が使ったもので誰の撮影でどういう経緯か詳細不明のもの、常民研には写真のコピーがある)・写真裏面の四隅に貼った跡あり、カット割りから「大家族制度と名子制度」『有賀喜左衛門著作集Ⅲ』写真36「糸つむぎ」に使った写真の指示だと考えられる 昭和9(1934) 岩手県石神村 写真資料 日本常民文化研究所
20 シイッコサマ 木川半之丞 ・写真裏面に紙テープ状のもので貼った跡がある 昭和6(1931) 青森県西津軽郡車力 写真資料 日本常民文化研究所

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