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  資料名 著者 内容 年代 地域 データベース 所蔵  
1 踏俵を履いて雪を踏み固める吉田三郎 大西伍一 ・吉田三郎『男鹿寒風山麓農民手記』p1「この原稿の挿繪の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした」とあることから、本資料は昭和9年9月のアチック一行による男鹿・石神・八戸の調査の際に脇本村に立ち寄られた時点から、同書が印刷・出版されるまでの昭和10年2月までの間に撮影されたものと推定される。本資料については同書p20-21に関連の記述がある。 昭和9(1934) 秋田県脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
2 田んぼへ肥料を運ぶ吉田三郎 大西伍一 ・吉田三郎『男鹿寒風山麓農民手記』p1「この原稿の挿繪の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした」とあることから、本資料は昭和9年9月のアチック一行による男鹿・石神・八戸の調査の際に脇本村に立ち寄られた時点から、同書が印刷・出版されるまでの昭和10年2月までの間に撮影されたものと推定される。本資料については同書p20に関連の記述がある。 昭和9(1934) 秋田県脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
3 マドと呼ばれる五重丸の柄の凧 大西伍一 ・吉田三郎『男鹿寒風山麓農民手記』p1「この原稿の挿繪の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした」とあることから、本資料は昭和9年9月のアチック一行による男鹿・石神・八戸の調査の際に脇本村に立ち寄られた時点から、同書が印刷・出版されるまでの昭和10年2月までの間に撮影されたものと推定される。本資料については同書p91-93に関連の記述がある。 昭和9(1934) 秋田県脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
4 八面ベラと呼ばれる凧 大西伍一 ・吉田三郎『男鹿寒風山麓農民手記』p1「この原稿の挿繪の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした」とあることから、本資料は昭和9年9月のアチック一行による男鹿・石神・八戸の調査の際に脇本村に立ち寄られた時点から、同書が印刷・出版されるまでの昭和10年2月までの間に撮影されたものと推定される。本資料については同書p91-93に関連の記述がある。・台紙右上には付箋が破れて残ったものが張り付いている。 昭和9(1934) 秋田県脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
5 薪を積んだところ、寒風山と自由伐採の薪 大西伍一 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・当該資料のネガの端に「寒風山と自由伐採の薪」(黒ペン)とあり、題名、撮影地はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
6 荷を付けた馬の引き綱を持つ男の子 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした 昭和9(1935) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
7 筵機で筵を織る吉田三郎の母 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「ムシロオリ 吉田三郎君母君」(黒ペン)とあり 昭和9(1935) 寒風山麓脇本村吉田三郎本家 写真資料 日本常民文化研究所
8 手に鎌を持ち草刈りに行く際の格好をする女性(吉田三郎兄の妻) 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・背景に写る家屋がア-47-9と同じ小屋と判断しで撮影地は脇本村吉田三郎本家とした・当該資料のネガの端に「草刈りに 脇本村」(黒ペン)とあり、撮影地、題名はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
9 脇本村の道中の井戸と子供たち 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「脇本村の道中の井戸」(黒ペン)とあり、撮影地はこれによった 昭和9(1935) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
10 魚を売る行商の女性二人(全身、正面) 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「サカナ小売行商女 脇本村」(黒ペン)とあり、題名、撮影地はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
11 男鹿のナマハゲ 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「ナマハゲ」(黒ペン)とあり 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
12 板壁の様なところにかけられた目玉餅 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・「目玉餅」とは『男鹿寒風山農民手記』p.42に「目玉餅。これも人々が最初苗代で仕事した時たべる餅です。十二ヶ月ある年は十二本の藁に、十三ヶ月ある年は十三本の藁にそれぞれ餅をつけます。同じのを二つ作ります。」とあり、また同書p.155に「正月十一日は、ナマハゲの面を作ったり、修繕したりする外に、若木迎へと申して、小正月に使用する、生柴、?ノ木、門松、柳目玉を作る柳、等々を伐って来る日です。」とあり 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
13 多くの草ぶき屋根の家屋(小屋)と砂泥状の土地、脇本村の海岸 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「脇本村海岸」(黒ペン)とあり、撮影地はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村海岸 写真資料 日本常民文化研究所
14 馬に荷をつけ跨る魚売りと道脇にいる吉田三郎 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・写3-7はア-47のネガでありア-47では『男鹿寒風山農民手記』関係の写真で纏められている。そのため撮影地は脇本村、撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「サカナウリ」(黒ペン)「吉田三郎君」(黒ペン)とあり、撮影地はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村 写真資料 日本常民文化研究所
15 吉田三郎宅と雪が残る畑 高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文 ・写3-7-12の白色無地の封筒に入っていたものヵ、ネガ・渋沢フィルム整理整理カードには「秋田県南秋田郷脇本村大倉付近」とあり・撮影日は『男鹿寒風山農民手記』p.1大西伍一「序に代へて」(昭和十年一月八日)の「その上この原稿の挿絵の撮影かたがた君の村を見たいとのことで、澁澤子爵石黒忠篤氏其の他民俗研究者の一行八名が君の家を訪れたのは去年の九月のことでした。」とあり、これによった・撮影者は『男鹿寒風山農民手記』に掲載する写真撮影等で訪れた研究者(高橋文太郎、大西伍一、木川半之丞、村上清文。『男鹿寒風山農民手記』写真目次掲載より)とした・当該資料のネガの端に「吉田三郎君宅」(黒ペン)とあり、撮影地はこれによった 昭和9(1934) 寒風山麓脇本村吉田三郎宅 写真資料 日本常民文化研究所
16 竹島の麦畑 大西伍一   昭和9(1934) 竹島 写真資料 日本常民文化研究所
17 竹島の湧水地 大西伍一 写真と同じ泉を高橋文太郎が撮影したア-9-16が『日本社会民俗辞典』第1巻33pに掲載されている。 昭和9(1934) 竹島 写真資料 日本常民文化研究所
18 竹島の竹で作られた食器棚 大西伍一   昭和9(1934) 竹島 写真資料 日本常民文化研究所
19 竹島の漁具 大西伍一 竹島に関する漁具については高橋文太郎「奄美十島及大島に於る民具」(『旅と伝説』昭和9年八月号)p2,および『桜田勝徳著作集7』p348「十島巡遊」に記述があり、写真中のものはアマメテ、ゴクミ(ククミ)またはツリマゲである可能性が高い。 昭和9(1934) 竹島 写真資料 日本常民文化研究所
20 竹島の竹割り機械 大西伍一 アー9-33と同一の竹割り機械とみられ、16ミリフィルムの内容から場所は竹島小学校の校庭と見られる 昭和9(1934) 竹島 写真資料 日本常民文化研究所

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