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1 吉田三郎による足半作成、二本の縄を綯い合せ足にかけてヨリをかけコクリをかけているところ アチック同人 ・ア-48-12と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「藁が出来たら、五六本で細い縄を綯ひます。長さは二尺位、この縄を二本綯つて、縄の元部を二寸ばかり互に合せます。それからその綯ひ合せた處を、右足の親指にひつかけて、充分ヨリをかけ、後コクリをかけて、それからそのヨリをもどさぬ様にして、」(同書p.344)とあり、題名はこれによった、コクリとは強くこすること・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
2 吉田三郎による足半作成、ヨリをかけた二本の縄を前方にヒシ形に差し出した両足の親指にひっかけたところ アチック同人 ・ア-48-14と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「それからそのヨリをもどさぬ様にして、前方のヒシ形に差出した両足の親指にその縄をひつかけます。」(同書p.344)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
3 吉田三郎による足半作成、足半に横尾をつけ自分の方に引張っているところ アチック同人 ・ア-48-17と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
4 吉田三郎による足半作成、足半の二本の縄を一本ずつ引張っているところ アチック同人 ・ア-48-18と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。それから前の二本の縄の先きを一本づつ強く引張ります。さうすると足半が出来ます。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
5 吉田三郎による足半作成、前の二本の縄と横緒を結び鼻緒を立てているところ アチック同人 ・ア-48-20と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「次ぎに鼻緒の立て方です。二本の縄を二回ばかり綯つて二分し、但し足をあて、親指の間から二本の縄を出して、横緒を其處で結ぶのです。その結び方は、先づ二分された縄の一方を横緒の下から左上に出します。一方を横緒の上から右下の方に出します。そして左指でつまんでゐます。右手で右下に出た縄を以つて丸い輪を作り、左の方にその先を出し、其處は相変らず左手指でつまんでゐます。次ぎに左上の縄を、右からきた縄を下にして、鼻緒の下をくぐらして、右の輪の中を通して右側に出します。そして右手指で其處をおさいて、左手で、左側に出てゐた、即ち輪を作つた縄の先きを力強く引張れば、其處が完全に結ばれます。そして先を一寸位残して両端を切れば足半が出来るのです。」(同書p.347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
6 吉田三郎による足半作成、足半裏の毛を切り取るところ アチック同人 ・ア-48-22と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「それから裏の毛を切り取り表面にはコクリをかけて毛をむしり取り、」(同書p.347)とあり、題名はこれによった、コクリとは強くこすること・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
7 吉田三郎による足半作成、足半用の藁を横槌で打つところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「足半やワラヂを作る藁は特に多く打つてやわらかにせんければなりません」(同書p.344)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
8 吉田三郎による足半作成、足半用の藁から縄を綯うところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「藁が出来たら、五六本で細い縄を綯ひます。長さは二尺位、」(同書p.344)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
9 吉田三郎による足半作成、二本の縄を綯い合せ足にかけてヨリをかけコクリをかけているところ アチック同人 ・ア-48-3と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「藁が出来たら、五六本で細い縄を綯ひます。長さは二尺位、この縄を二本綯つて、縄の元部を二寸ばかり互に合せます。それからその綯ひ合せた處を、右足の親指にひつかけて、充分ヨリをかけ、後コクリをかけて、それからそのヨリをもどさぬ様にして、」(同書p.344)とあり、題名はこれによった、コクリとは強くこすること・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
10 吉田三郎による足半作成、足半用の縄にコクリとヨリをかけるところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「藁が出来たら、五六本で細い縄を綯ひます。長さは二尺位、この縄を二本綯つて、縄の元部を二寸ばかり互に合せます。それからその綯ひ合せた處を、右足の親指にひつかけて、充分ヨリをかけ、後コクリをかけて、それからそのヨリをもどさぬ様にして、」(同書p.344)とあり、題名はこれによった、コクリとは強くこすること・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
11 吉田三郎による足半作成、ヨリをかけた二本の縄を前方にヒシ形に差し出した両足の親指にひっかけたところ アチック同人 ・ア-48-4と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「それからそのヨリをもどさぬ様にして、前方のヒシ形に差出した両足の親指にその縄をひつかけます。」(同書p.344)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
12 吉田三郎による足半作成、足半の四本の縄状の部分に右手の五本の指をあてながら編んでいろところ、ワラヂ作り アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「この作り方は、たとへば今、作り藁が、左側の縄の裏から外に出てゐたとします。その時その藁で、左側の縄を中にして、左側の縄と二番目の縄の間から浦に差込み、二番目と三番目の間から上に出します。それから三番目の縄を下にして裏に差込み右側の縄の下から外に出します。それから又右側の縄を中にして、左側から三番目の縄の間に差込み、三番目と二番目の縄の間から上に出します。それkら二番目の縄を下にして、左側の縄との間に差込み、左側の縄の裏から外に出します。この操作をワラヂ作りと村では申してゐます。そしてこの操作で、右手の五本の指をそろいてあてて見て、その巾即ちその長さまで作つたら横緒をつけねばなりません」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
13 吉田三郎による足半作成、足半に横尾をつけているところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
14 吉田三郎による足半作成、足半に横尾をつけ自分の方に引張っているところ アチック同人 ・ア-48-5と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
15 吉田三郎による足半作成、足半の二本の縄を一本ずつ引張っているところ アチック同人 ・ア-48-6と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。それから前の二本の縄の先きを一本づつ強く引張ります。さうすると足半が出来ます。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
16 吉田三郎による足半作成、足半の裏の毛を切り取り表面にコクリをかけているところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「ワラヂ作りの操作中は時々五本の指を縄の間に差込んで自分の方にぐつと引張つてかたくします。横緒には三つこの縄を使用します。充分よりをかけ、充分コクリをかけます。緒の片方を二分して(但しヨリをもどさずに)左側の縄をはさみ、二番目三番目の縄もそれで編むやうにして、右側までその先を出さじに裏の方に出しておく。それから緒を作り始めた處近くまで伸して、それから片方を前同様にして右側の方からやります。それが出来たら、中央から新しく藁を四五本仕立て左側に作り、そして横緒の前方から内側を通して外に出し、そして右側の方に作り、右側も同様にしてやりそれから前通りに作り、足半を段々しぼめて作る。小指と親指を除いただけの巾即ち長さだけを作つて止めます。それから前の二本の縄の先きを一本づつ強く引張ります。さうすると足半が出来ます。それから裏の毛を切り取り表面にはコクリをかけて毛をむしり取り、次ぎに鼻緒の立て方です。」(同書pp.346-347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
17 吉田三郎による足半作成、前の二本の縄と横緒を結び鼻緒を立てているところ アチック同人 ・ア-48-7と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「次ぎに鼻緒の立て方です。二本の縄を二回ばかり綯つて二分し、但し足をあて、親指の間から二本の縄を出して、横緒を其處で結ぶのです。その結び方は、先づ二分された縄の一方を横緒の下から左上に出します。一方を横緒の上から右下の方に出します。そして左指でつまんでゐます。右手で右下に出た縄を以つて丸い輪を作り、左の方にその先を出し、其處は相変らず左手指でつまんでゐます。次ぎに左上の縄を、右からきた縄を下にして、鼻緒の下をくぐらして、右の輪の中を通して右側に出します。そして右手指で其處をおさいて、左手で、左側に出てゐた、即ち輪を作つた縄の先きを力強く引張れば、其處が完全に結ばれます。そして先を一寸位残して両端を切れば足半が出来るのです。」(同書p.347)とあり、題名はこれによった 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
18 吉田三郎による足半作成、横緒の両端を切っているところ アチック同人 ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「そして先を一寸位残して両端を切れば足半が出来るのです。」(同書p.347)とあり、題名はこれによった・ア-48としてまとめられているところから足半作成の過程と考えられる 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所
19 吉田三郎による足半作成、足半裏の毛を切り取るところ アチック同人 ・ア-48-8と同一の写真資料、どちらかが焼き増しヵ・中表紙記載には「昭和十年四月」とあるが、吉田は昭和10年4月にアチックには来ていない、補訂版「アチック来訪者芳名簿」(渋沢史料館蔵p.25)には3月2日(例会、吉田三郎氏上京を記念して)、3月9日(例会、桜田勝徳氏上京)にアチックにて両会に出席している、またその後書かれた『男鹿寒風山農民日録』が「三月十三日」からのため撮影日は3月2日~3月12日の期間とした・撮影者はアチック同人とした・『男鹿寒風山農民日録』pp.344-347に足半をつくる順序が書かれている、その中に「それから裏の毛を切り取り表面にはコクリをかけて毛をむしり取り、」(同書p.347)とあり、題名はこれによった、コクリとは強くこすること 昭和10(1935) アチックミューゼアム 写真資料 日本常民文化研究所

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